西天下茶屋駅の歴史
西天下茶屋駅の歴史は古く、大正4年9月18日に当時の大阪高野鉄道の津守駅と阿倍野(現・岸里玉出)駅の間に新設されました。
昭和55年頃の西天下茶屋駅
西天下茶屋駅舎に向かって左側出入口付近には、公衆電話の設置を示す看板(赤い電話機マーク)があり、大型赤公衆電話機が設置されていました。
駅舎に向かって右側には公衆電話ボックスが設置されています。
南海汐見橋線西天下茶屋駅(出典:南海の駅 p44)
昭和55年11月21日発行の「南海の駅」に掲載されている写真(上)を見ると、駅舎正面に設置された駅名標(駅名板)は、開業当時の形状(蒲鉾型)が維持されていますが、駅名の書体はゴシック体に変更されているのがわかります。
書体の変更とともに「驛」から「駅」へ「えき」の字体も変更されています。
昭和62年~63年頃の西天下茶屋駅
昭和62年~63年頃の西天下茶屋駅には、まだ大型赤公衆電話機が設置されています。
南海汐見橋線西天下茶屋駅(出典:わたしたちのまちばいなん p10)
昭和63年5月10日発行の「わたしたちのまちばいなん」に掲載されている写真(上)を見ると、駅名標(駅名板)は、蒲鉾型から長方形の形状のものに付け替えられているのがわかります。
西天下茶屋駅舎の駅名標
平成28年3月15日に南海汐見橋西天下茶屋駅舎の駅名標の取り付け工事が行われました。
南海汐見橋線西天下茶屋駅(撮影:平成28年3月15日)
上の南海汐見橋西天下茶屋駅舎の写真を見て何かに気付いた人はいらっしゃるでしょうか。
工事の様子を撮影した左側の写真は新しい駅名標の取り付け前ですが、よく見ると取り換える駅名標の下に以前の古い蒲鉾型の駅名標が残されています。
つまり、古い蒲鉾型の駅名標を残したまま右側の写真のように上から覆い被せていた外側の駅名標を新しいものに取り換えているのです。
昭和時代の西天下茶屋駅乗降客人員
昭和時代の西天下茶屋駅乗降人員の推移(各年度一日平均) | |||
---|---|---|---|
年度 | 乗降 | 年度 | 乗降 |
昭和58年度 | 2,596 | 昭和49年度 | 4,355 |
昭和57年度 | 2,637 | 昭和48年度 | 4,283 |
昭和56年度 | 2,776 | 昭和47年度 | 4,174 |
昭和55年度 | 2,982 | 昭和46年度 | 4,202 |
昭和54年度 | 3,221 | 昭和45年度 | 4,680 |
昭和53年度 | 3,385 | 昭和44年度 | 4,786 |
昭和52年度 | 3,474 | 昭和43年度 | 4,809 |
昭和51年度 | 3,636 | 昭和42年度 | 4,701 |
昭和50年度 | 4,005 | 昭和41年度 | 4,533 |
出典:南海電気鉄道百年史(単位:人) |
記録によると、西天下茶屋駅の一日の乗降客人員は、昭和28年頃から3千人を超え、年々増え続けました。 沿線にあった工場で働く人たちの通勤利用などが理由です。
昭和43年度に一日の乗降客人員はピークを迎え4,809人を記録していますが、その翌年度から乗降客人員は減少しています。
昭和時代の西天下茶屋駅乗降客人員(各年度一日平均) | |
---|---|
年度 | 乗降 |
昭和40年度(1965年度) | 4,635 |
昭和37年度(1962年度) | 3,880 |
昭和32年度(1957年度) | 3,182 |
昭和28年度(1953年度) | 3,072 |
出典:西成区史(単位:人) |
大正時代の西天下茶屋驛昇降人員
大正時代の西天下茶屋驛昇降人員 | ||
---|---|---|
年 | 乗車 | 降車 |
大正13年(1924年) | 576,571 | 578,233 |
大正12年(1923年) | 492,486 | 499,503 |
大正11年(1922年) | 428,919 | 436,465 |
大正10年(1921年) | 353,691 | 358,764 |
大正9年(1920年) | 293,960 | 299,366 |
大正8年(1919年) | 174,239 | 177,293 |
大正7年(1918年) | 53,376 | 53,761 |
出典:今宮町志(単位:人) |
参考文献
貞本義保(1926)『今宮町志』今宮町.
川端直正(1968)『西成区史』西成区市域編入40周年記念事業委員会.
―(1980)『南海の駅』南海電気鉄道総務部広報課.
―(1983)『南海電気鉄道百年史』南海電気鉄道株式会社.
―(1988)『わたしたちのまちばいなん』大阪市立梅南小学校.
「認知症を知り地域をつくる10ヵ年」の構想
認知症を知り地域をつくるキャンペーン
2004年12月に「痴呆」の呼び名が「認知症」に改まり、つづく2005年度が「認知症を知る1年」と位置づけられました。単なる呼称変更にとどまらず、今後多くの人々に認知症が正しく理解され、また認知症の方が安心して暮らせる町がつくられていくよう、その第一歩として、普及啓発のためのキャンペーンが開始されました。
厚生労働省の「認知症を知り 地域をつくる10ヵ年」の構想のもと、認知症の方とそのご家族を地域の中で支える「地域づくり」をめざしています。民間の有識者や団体を中心とした「認知症になっても安心して暮らせる町づくり100人会議」の支援をうけ、平成17年度から全国で展開されています。
みんなで認知症の人とその家族を支え、見守り、ともに生きる地域を築いていく運動を推進しています。
認知症になっても安心して暮らせる町づくり100人会議宣言
- わたしたちは、認知症を自分のこととしてとらえ、学びます。
- わたしたちは、認知症の人の不安や混乱した気持ちを理解するよう努めます。
- わたしたちは、認知症の人が自由に町に出かけられるよう、応援します。
- わたしたちは、認知症の人や家族が笑顔で暮らしていけるよう、いっしょに考えます。
- わたしたちは、市民や企業人としてできることを行い、安心して暮らせる町づくりをめざします。
認知症サポーター100万人キャラバン
私たちデイサービス昭和館のスタッフは、認知症に対して正しく理解し、偏見をもちません。
認知症の人やそのご家族を温かい目で見守ります。
地域でできることを探し、相互扶助・協力・連携のネットワークづくりに寄与します。
デイサービス昭和館のスタッフは大阪市キャラバン・メイトとして登録し、活動に参加しています。
認知症サポーターおよびキャラバン・メイトに関するお問い合わせ
大阪市社会福祉協議会 地域福祉課(大阪市キャラバン・メイト事務局)
電話:06-6765-7273
認知症サポーターの養成と活動の支援
認知症施策推進総合戦略~認知症高齢者等にやさしい地域づくりに向けて~(新オレンジプラン)では、認知症への理解を深めるための普及・啓発を推進しています。
認知症サポーターの養成と活動の支援について、認知症サポーターを量的に養成するだけでなく、活動の任意性を維持しながら、認知症サポーターが様々な場面で活躍してもらうことに重点を置いています。
デイサービス昭和館は、事業所の休業日に施設の一部を提供し、社会貢献の一環として、認知症カフェ(オレンジカフェ昭和館)を開催しています。
オレンジカフェ昭和館では、ボランティア活動としてお手伝いしてくださる方を受け入れしています。
認知症サポーター養成講座を修了して、認知症サポーターとして活躍の場をお探しの方はお気軽にお問い合わせください。